2019.08.05便利だけど夢がない

こんにちは。藤川@キクスイマグ中の人、です。今回はボヤキです。あ、いつものことか・・・。

お気付きの通り、当サイトの更新が超スローダウンしております。ほとんど立ち枯れ・・・?。
世のこの手(いわゆるコンテンツマーケティング)のサイトを見回してみると、コツコツと更新を重ねているものもあれば、そうでないものも相当数見受けられます。最終更新が数年前みたいな・・・・(汗)。

ここでこういうことを言ってしまうのは、きっと「イケないこと」なのでしょうが・・・誰も読みゃしないからいいだろう(笑)
サイトが残念な状態になってしまう理由は単純明白です。それは、サイトの開設動機が所詮ビジネスだからです。(誰かが決めたことをやらされている)お仕事に成り下がっているからです。なので、それこそ担当者が真面目だと鮮度維持のために、ネタがなければパクってでもなんとか「それらしい記事」を作り、しかし最悪「炎上」するような事故が後をたたないわけです。
もっともらしい「なんちゃらマーケティング」というバズワードに踊らされて、始めたはいいが、所詮動機の真ん中は「金儲け」。しかも大抵の「なんちゃらマーケティング」には実効性に疑いがあって(言い方を変えると成立要件が厳しいため)、だいたいは「思ったような結果が出ない」状態に陥ります。そうすれば当然「金儲け」につながらないので、言い出しっぺの当初の鼻息は何処へやら。あとは担当者が敗戦処理を任されるという構図が現れます。ネットにはそういった死屍累々が積み上がってゆくわけです。ま、よくある話です。

ネットの一般利用が始まった頃から20年以上、私はWebの開発・運営をしながら、色々な事例を間近に見たり聞いたりしてきました。けして「金儲け」を否定する気はなく(企業には必要なことでしょう)、そのための道具としてWebを利用するのはアリな話です。しかし昨今はあまりにもそれが多いというか・・・ばかりというか、要はネットが「商売っ気まみれ」なのが面白くないなと思うのです。
ネットの一般利用が始まった頃は、意味や目的がなんだかわからない、ヘンテコなサイトがよくあったものです。当時はWebの構築や活用法について誰もが暗中模索で、そういう意味では全てが実験でした。なのでコンテンツのみならず、ユーザが困惑するようなメチャクチャなデザインやインターフェースが普通にあちこちにありました。
つまりカオス(混沌)でした。なんだかわからないけどエネルギーだけが渦巻いてる状態が現れ、そこから色々な試行錯誤があり、様々な創意工夫から実用性を得て今日に至っているわけです。その結果誰もが利用できるとても便利な道具になりました。しかし他方で「なんだかわからないエネルギー」を感じることは少なくなった気がします。テクノロジとしては、クラウド、IoTや5Gなど、どんどん高度化しますが、それらは今の延長線上に描けるもの(想像がしやすいもの)です。(行く末が)想像ができる世界は、案外面白くないのです。

ビジネスでは目標や計画が重要視されます。予見性の低い事案はビジネス対象になりにくいわけです。が、世の中が全てそういったモノサシ(評価尺度)で計られてしまうのはどうかと思います。なんだかわからないし、どうなるのかもわからない、でも面白そう。かつてのインターネットはそうでした。ビジネス的には全くもってアウトだったものを、人々が寄ってたかって目鼻をつけてビジネスになるようにしたわけです。でもその結果が「便利だけど夢がない」道具なのではないかなと。「わけのわからなさ」と「有用さ・利便さ」はトレードオフなので、仕方のないことかもしれませんが。

さて、インターネットはかつてカオス(混沌)だったと書きましたが、混沌(こんとん)という言葉にはこんな故事があります。
「渾沌、七竅(しちきょう)に死す」。「竅」とは穴のことです。中国の思想家荘子が書き記した一篇です。

【原文】
南海之帝為儵,北海之帝為忽,中央之帝為渾沌。
儵與忽時相與遇於渾沌之地,渾沌待之甚善。
儵與忽謀報渾沌之德,曰:「人皆有七竅以視聽食息,此獨無有,嘗試鑿之。」
日鑿一竅,七日而渾沌死。

【訳文】※ピクシブ百科事典より引用
南海の帝『儵(しゅく)』と北海の帝『忽(こつ)』が
中央の帝『渾沌(こんとん)』の地で会い、
渾沌から厚く饗された。
儵と忽はお礼として、
人間にあって渾沌にない七つの穴(口・両眼・両耳・両鼻孔)を
一日一つづつ渾沌に開ける事にした。
七日後に渾沌は死んだ

この説話は、「人間の浅知恵が自然界の破壊に繋がる」という戒めとして解釈される例が多いようですが、意味や便利さを最上位とする価値観が強い今の世相の危うさにも通ずる観点ではないかと思います。

海辺の家

ということで、写真は面倒なだけで全く使えないけど楽しいものです。恒例のロビーに飾る「小さな世界」です。夏らしい海辺の家です。一番つらかったのは椰子の葉。全てデザインカッターで切っています・・・手が死にました。
こういう物も見方によっては無意味・無駄なわけです。これ自体は一銭も産みません。でも見る人(来訪者様)の心にホッコリしたものが生まれると信じてやっているわけです。これがアートの役割なんでしょう(ちょっと偉そう)。

もうすぐ夏休みという方も多いかと思いますが、いつもの実利一辺倒(消費活動)ではなく(一見)無意味なことをしたり、見たりすることをやってみてもいいのではないかと思いますよ。

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